ホーム エレン・ケイと北欧デザインの往復書簡 第8回  エレン・ケイの終の住まい ストランド荘

エレン・ケイと北欧デザインの往復書簡

ストランド荘全景(1965年撮影)(写真提供

第8回  エレン・ケイの終の住まい ストランド荘

2025.06.21

池上

須長さん、エレン・ケイは『恋愛と結婚』『美しさをすべての人に』『児童の世紀』などの著作によって世界的に知られていますが、驚いたことに、作家として生計を立てられるようになったのは、50歳を過ぎてからだったそうです。
その後は、ヨーロッパ各地で講演を行いながら執筆に励み、多忙な日々を送ることになるわけです。

滞在先はホテルや友人の家が多く、独身でもあったので、自分の家を持つことはなかったようです。
そんなふうにして、エレン・ケイは60歳のころ、これまでの功績が称えられ、スウェーデンから湖畔の土地を贈られます。日本では60代を人生の新たな転換期と捉える人も多いですが、エレン・ケイもその湖畔の土地に、『美しさをすべての人に』で語った理念を実際の暮らしの中で体現し、自らの美の理想を反映させた住まい「ストランド荘」を建てることになります。

ストランド荘には、エレン・ケイの思い出の品々をはじめ、幼少期に譲り受けた机や、自身で目利きした家具、食器、壁紙、テキスタイルなどが丁寧に設えられています。
築100年近くが経ったいまでも、当時の姿を保ち続っていて、エレン・ケイが愛した豊かな緑に囲まれたその湖畔の建物を見学することができます。
ただし、「ストランド荘が最も美しく映える時期にだけ公開するように」という、エレン・ケイの遺言によって、5月から9月の植物が美しい期間に限られます。それでも、予約すれば、どなたでも訪れることができます。
さらに、これもケイの意思によって、女性研究者のための奨学制度も設けられています。これは、夏季にストランド荘に滞在し、研究活動を行うことができる制度です。エレン・ケイの思想や美の教えに関心のある方には、ぜひお勧めです。

ストランド荘の机に向かって座るケイ(1924)(写真提供

ストランド荘に設えられている家具や壁紙、テキスタイルは魅力的なものが多く、どこからご紹介しようか迷うほどです。ここでは、その中でもテキスタイルのことを少しお話ししてみます。

ストランド荘のテキスタイルの修復には、代々スウェーデンの著名なテキスタイル作家が携わってきたという歴史があります。
最近では、2016年から2022年にかけて、ティナ・イグネルさんを中心に多くのテキスタイル作家が参加した大規模なプロジェクトが行われました。これは、ストランド荘に設えられているたくさんのテキスタイルを、できる限りオリジナルの姿に復元するという壮大な試みでした。

ティナさんはテキスタイル作家として知られるだけでなく、スウェーデンのテキスタイル専門誌『Vävmagasinet』の編集長としても活躍されています。日本でも、スウェーデン織物に関心を持つ方々の間では、この雑誌を取り寄せて読まれていると聞いたことがあります。

この復元プロジェクトは『エレン・ケイのストランド荘のテキスタイル(スウェーデン語)』という書籍にまとめられています。6年にわたる活動の成果として、豊富な写真資料のほか、ストランド荘のテキスタイルを再現するために必要な材料や織り方も詳細に紹介されています。
エレン・ケイが使っていた廊下のマットやテーブルクロス、ソファー生地、手編みのラグ、クッションの刺繍などを、日本でも再現できるというわけです。北欧のテキスタイルにご関心のある方には、ぜひご覧いただきたいプロジェクトです。

残念なことは、これらのテキスタイルの実物を見るためには、現地を訪れなくてはならないことです。しかし光栄なことに、ストランド荘のキュレーターの方から、内部の撮影と書籍での紹介についてご許可いただきました。いずれ何らかの形で、ご報告できる機会がありそうです。

ティナさんによれば、このプロジェクトの目的は、「エレン・ケイが晩年過ごした当時の様子を忠実に再現すること、そして将来の研究のために資料をアーカイブすること」だそうです。

代々スウェーデンの著名なテキスタイル作家たちを惹きつけてきたエレン・ケイの審美眼は、ストランド荘が技術や伝統を次世代に繋ぐためのプラットフォームとなる未来を、すでに見据えていたのかもしれません。こんなふうにおもうのは私だけかもしれませんが、スウェーデンのテキスタイル文化を現代に伝える上でも、エレン・ケイは重要な役割を果たしているではないでしょうか。

須長

池上さんの翻訳を初めて読ませて頂いた時に感じたふわふわとした温かい予感が、この往復書簡を通じて具体的な情報として詳らかになっていく時間はとても楽しい時間でした。

今では、スウェーデンデザインの魅力の原点が、『美しさをすべての人に』あることがよく理解できます。そして、120年も前から美しさと幸せが同義としてデザインや生活の基盤を築いていたスウェーデンの文化の豊穣さに改めて憧れの念を抱いています。

何度もこの往復書簡の中でも書いていますが、作り手がすべての人に美しさを感じる感受性が備わっているということを心の底から信じる姿勢で、ものを考え作るということは、当たり前のようでとても大切なことだとおもいます。それは、作り手である「私」や「僕」が感じた美しさを、どこかの知らない「あなた」にも感じてもらうことができるということです。ありのままに感じた美しさがそのまま誰かに受け入れてもらえるという世界があると信じることは、幸福ですよね。

それは結果として、作り手にとって想像性をより豊かにすることに繋がり、美しく自由な創造が生まれます。デザインの使い手や絵画や舞台の鑑賞者は、その美しさを感受することで幸せな暮らしを営むことになります。作り手にとっても使い手にとってもお互いに美しさを信じることが重要なのです。

今の時代は、美しさを感じる心や基準が自分の外にあることが多いですよね。誰かが「いいね」と言ったから。あの人が「デザイン」したから。作り手も、より「多くの人」にいいねをしてもらわないといけない。
エレン・ケイの美しさはあくまでも自分の中にある美しさを信じることです。そして、その美しさは必ず誰かの美しさに響くことといっているのだとおもいます。だからこそ、美しさはすべての人の中に宿っているのですよね。ですから、自分の美しさを信じなさいというのが、エレン ケイのメッセージだとおもいます。

文章で理解してきたエレン・ケイの美しさを、彼女が暮らした家で体感できることを楽しみにしています。

池上貴之さん

『美しさをすべての人に』翻訳者。1979年岡山県生まれ。金沢大学人間社会研究域准教授として、デザイン教育や北欧デザインに関する講演や論文を発表。2024年よりエデュケーショナル・デザイナーとして、コンストの創作レシピが「障がい者と支援員」や「学生と教育者」などに提供される際の有用性のエビデンス探求などにご協力いただいています。
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須長檀

一般社団法人konst代表理事/デザイナー。1975年スウェーデン生まれ。王立コンストファック大学院修了後、デザイン事務所を設立。デザイナーとして活躍し、2009年Nordic Design Awardなど受賞多数。北欧の家具や小物を扱うショップ「NATUR TERRACE 」、「lagom 」のオーナーも務める。