ホーム エレン・ケイと北欧デザインの往復書簡 第4回  1899年のブルー・ルーム展とグリーン・ルーム展

エレン・ケイと北欧デザインの往復書簡

グリーンルーム展の様子(1899年)(写真提供

第4回  1899年のブルー・ルーム展とグリーン・ルーム展

2025.06.21

池上

1899年、エレン・ケイは、アーティストであるイェルダ・ベリーとリカルド・ベリー夫妻の協力を得て、インテリア展示会を開催しました。
当時、エレン・ケイは労働者の生活環境に強い問題意識を抱いており、その関心から、展示会は彼女が教壇に立っていたストックホルムの労働者学校で開かれることになりました。展示の目的は「人とアートを近づける」ことにあり、第一回は「ブルー・ルーム」、第二回は「グリーン・ルーム」と題され、それぞれ異なる内容で構成されました。

第一回の「ブルー・ルーム」は、1899年4月18日から5月18日までの1か月間にわたって開催されました。
この展示では、一般的な労働者の部屋を再現した空間に、ケイの審美眼で選ばれた家具やプロダクトが配置されました。展示されたのは、シンプルなソファやチェスト、アイアンベッドのほか、カーテンやマットなどの日用品も含まれていました。また、壁にはアルブレヒト・デューラーやカール・ラーションの廉価な模造品が飾られていたそうです。

「ブルー・ルーム」展示会には、およそ5,000人が来場したと伝えられています。
この展示では、シンプルな形や色彩によって部屋に調和をもたらし、美しさが生まれることが示されました。それは、ただ安いだけの品物で満足していた当時の労働者階級の暮らしぶりに対する批判的な視点を含み、来場者にとって教育的な意味を持つものでした。

また、展示されたガラス製品や陶磁器は、コスタ、グスタフスベリ、ロールストランドといった、現在も続く製造業者によるものでした。ケイはこの展示会を通じて、アーティストと製造業者の協働を具体的に実践しています。実際、家具や陶磁器のいくつかは、アーティストと企業が共同で商品開発を行ったものであったことが、当時の資料からも確認できます。

アーティストと製造業者との協働といえば、1917年にストックホルムのリリエバルク芸術ホールで開催された「ホーム・エキシビション」が思い浮かびます。
この展示会は、エレン・ケイの思想を色濃く反映し、アーティストと製造業者の連携を大々的に実践したものでした。しかし実は、その18年前、エレン・ケイ本人がすでに、後のスウェーデンデザインの方向性を示す先駆的な取り組みとして、「アーティストと製造業者の協働」を体現した展示会を開催していたわけです。

ところで、「ブルー・ルーム」展示会には、ロールストランド社製でアルフ・ヴァランダーがデザインした食器が出品されたことがわかっています。当時のヴァランダーは、アール・ヌーヴォー様式の装飾的な食器を多く手がけていましたが、この展示会が開かれた1899年には、装飾のない真っ白な食器シリーズもデザインしています。
当時、スウェーデンでは派手に装飾された食器がもてはやされていたと言われていますが、エレン・ケイはそうした風潮を快くおもっていませんでした。彼女は著書『美しさをすべての人に』の中で、「簡素さ」や「白」の美しさについて繰り返し語っています。
たとえば、お皿についてはこんなふうに述べています。

食事に使う皿は、縁取りだけ装飾されているか、あるいは底面にささやかな装飾があるくらいがよい。

− エレン・ケイ『美しさをすべての人に』第4章「住まいの美しさ」

ただし、このヴァランダーの白い食器シリーズが実際に「ブルー・ルーム」に展示されたかどうかについては、現在も調査中です。しかし、同年に出版されたエレン・ケイの著書『美しさをすべての人に』の記述を手がかりに考えると、出品された可能性は高いと考えられます。そして、来場者にとっては、簡素さや白の美しさをあらためて見直す機会となったのではないでしょうか。事実、その後1900年代初頭のスウェーデンでは「白」が大流行することになります。

須長

とても興味深いお話ですね。

展覧会が行われた1899年頃のインテリアデザインや家具デザインに目に向けると、1902年にオット・ワグナーが「ウィーン郵便局の椅子」を、1908年にヨゼフ・ホフマンが座るための機械という意味を持つ「ジッツマシーネ」をデザインしています。
ドイツでは、曲げ木の名作「トーネットのロッキングチェアー」が生まれ、1902年にイギリスでチャールズ・レニー・マッキントッシュが、センセーショナルな「ヒルハウス1」をデザインしました。現在でも語り継がれ、作られ続けられている名作家具が誕生し始めた時期でもあります。
そのような時代に、エレン・ケイは労働者階級の人々のための暮らしの提案を行います。彼女の眼差しはいつも子どもや女性、労働階級など当時の社会的弱者へ向けられていました。そして同時に美しさに大変敏感な感覚を持ち合わせていて、美しさが幸せへと繋がることを確信していた人でした。優しく温かい目線と鋭い審美眼がこの展示会を作り上げたのだとおもいます。

読者の方はもしかしたら。「アーティストと製造業者の協働」に疑問点を持った方もいらっしゃるかもしれません。なぜインテリアの展示会なのに「デザイナーと製造業者の協働」ではなく「アーティストと製造業者の協働」だったのかと。
実は、この展示会が行われた1899年当時はデザイン黎明期で、特にヨーロッパの中央ではなかったスウェーデンでは、デザイナーという固有の職業がまだ定着していない時期でした。アートを応用して美しい道具を作るという応用美術という概念でデザインがされていた時期だったのだとおもいます。テキスタイルデザインではそれは顕著で、タペストリーなどの図案をアーティストがデザインしていたようです。食器の図案も多くのアーティストが参加していました。

2025年3月からアーティゾン美術館でゾフィー・トイバ=アルプとジャン・アルプの展示がありました。この二人は20世紀を代表するアーティストのカップルであり、工芸家であり、デザイナーでもアーティストでもあります。二人が活躍したのは1920年代ですが、織物の技法、作り出す技法の制限としての水平垂直表現が、その後の抽象画表現やデ・スティルなどのデザイン様式と融合していく様子は、工芸という技術者が抱える技術的制限が、美術やデザインへの新しい表現として影響を及ぼしたかもしれないという想像をさせる興味深い展示でした。

工芸家、アーティスト、デザイナーが応用美術という緩やかな枠組みの中でそれぞれを行き来していたエレン・ケイの生きた時代は、今を生きるデザイナーよりももっと自由で魅力的に見えます。もちろん、経済性や合理性、使い勝手などの機能性は、今の道具に対して劣る部分が多いかもしれません。でも、それを差し引いても十分な魅力があるのはなぜなのでしょうか?

アーティスト、デザイナー、工芸家と細分化されていなかった分、モノを作りたいという欲求が単純明快だったのかもしれません。そして、その原動力は美しいものを作りたいという純粋な力だったのではないかと想像してしまいます。

油絵画家は、自由に色を作ることができる世界から、染められた糸の中から色を選ばなければいけないという制約の中に新しい美しさを発見し、縦糸と横糸が織りなす規則性に美を見出していったかもしれない。または、食器の装飾は色を1色に制限されることで記号のような美しさを見つけたかもしれない。そこにあったのは、冒険者である表現者であり、美しさの探究者でした。まだデザイナーではない、美術を応用する創造者が造形したこの頃の道具には、個人的な美しさへの祈りのようなものが宿っているような気がするのです。
そのような美しさへの個人的祈りが宿ったものに、敏感な感性を持つエレン・ケイは反応していたのではないかとおもいます。そのような美しさには人を幸せにする力があると。これは僕の想像上でしかないのですが……。
もっとデザインは良くなる、人を幸せにする力があるとおもわせてくれたのです。

池上

そうですね。この頃のヨーロッパといえば、工業化や改革運動、ナショナル・ロマンティシズムといった動きが芸術の領域にも波及した激動の時代だったそうです。その中から、ウィーン分離派やアーツアンドクラフツ運動、日本では民芸運動のように、情熱を持った人たちが素晴らしい仕事を残していますよね。須長さんの20世紀初頭のデザインに関するお話を聞いて、エレン・ケイもその潮流の一人だったのだと、あらためて感じました。

そして、須長さんが「エレン・ケイの生きた時代は今を生きるデザイナーよりももっと自由で魅力的に見えます。」と指摘されたところに、可能性のようなものも感じました。もし、エレン・ケイの『美しさをすべての人に』を読んだデザイナーの方が、須長さんと同じように、工芸家、アーティスト、デザイナーたちが応用美術という緩やかな枠組みに魅力を感じ取ってくれたなら、デザインはもっと自由で、もっと魅力的なものになるのかもしれない、とそんなふうにおもいました。

須長さんが20世紀初頭の椅子のデザインをいくつか挙げて下さったので、それに関連して、エレン・ケイが「ブルー・ルーム」の展示会の次に開催した「グリーン・ルーム」の展示会から、そこに出品された椅子を1脚、ご紹介したいとおもいます。

「グリーン・ルーム」の展示会は、「ブルー・ルーム」と同じく1899年の9月に、イェルダ・ベリーとリカルド・ベリー夫妻の協力のもと、ストックホルムの労働者学校で開催されました。とはいえ、どちらの展示会でも、エレン・ケイとベリー夫妻は、自分たちの名前をできるだけ表に出さずに関わることを望んでいたようです。当時、すでに大きな影響力を持っていたエレン・ケイですから、先入観を持たずに展示会を見てもらいたいという思いがあったのかもしれませんね。
なお、補足すると、リカルド・ベリーはその後、1915年にストックホルムにあるナショナル・ミュージアム(国立博物館)の最高責任者に任命されています。このことからも、ベリー夫妻がいかに優れた能力を持ち、展示会がスウェーデンの人たちに歓迎されたかがうかがえます。

この展示会では、「あまりお金を掛けなくても、簡素であっても、色彩豊かでスタイルのある住まいをしつらえることができる」というメッセージが込められていたそうです。前回のブルー・ルームが「部屋」をテーマにしていたのに対し、グリーン・ルームでは「住まい」全体へと視点が広がり、また、伝統とモダンを融合させたスウェーデン固有のスタイルを模索する場でもありました。

そこで展示されたのが、スウェーデン家具史のランドマーク的なイスと称される、カール・ヴェストマンによる「ワーカーズ・ファニチャー」と呼ばれる家具です。ヴェストマンはこの家具を制作する何年か前まで、アメリカの建築事務所に勤務していました。もちろん、この展示会に並んだ全てのものはエレン・ケイのプロデュースによるものですから、彼女の思想が反映されているのは間違いありません。しかし、きっとウェストマン自身も、当時のナショナル・ロマンティシズムの波を受けながら、アメリカでの生活を経て、スウェーデンの民族的、あるいは国家的アイデンティティーを家具の中にどう表現するか、深く考え、このデザインにたどり着いたのだとおもいます。
そう考えると、須長さんが挙げて下さった、ウィーン分離派やアーツアンドクラフツ運動に関わった人たちによる名作の椅子たちにも、それぞれの国のアイデンティティーが託されている、そんな気がしてなりません。

美術を応用する創造者が、自らのアイデンティティーを追い求める心。それは、国と国の境界線があいまいになった現代を生きている私たちにとって、なにか大切なものを思い出させてくれるのではないでしょうか。私にとっては、その心こそが、須長さんのおっしゃる「美しさへの祈り」に通じるのかもしれません。

カール・ヴェストマンが設計したストックホルム裁判所(1909)(写真提供

須長

恥ずかしながら、池上さんにご紹介頂くまでカール・ヴェストマンというデザイナーもワーカーズ・ファニチャーの存在も存じ上げませんでした。
調べてみると、ストックホルム市立図書館を設計し北欧近代建築の礎を築いたスウェーデンの建築家エーリック・グンナール・アスプルンドが仲間とともに設立した私設学校「クララ・スクール」にカール・ヴェストマンを招き指導を受けたそうですね。アスプルンドは、アルヴァ・アアルト、アーネ・ヤコブセンら北欧の20世紀の建築家たちに多大な影響を与えた建築家です。
エレン・ケイのことを調べていくと、次々と北欧デザインのキーパーソンへと繋がっていくことに驚きを隠せません。彼女は椅子をデザインしたり、建築を設計した訳ではなかったので、北欧のデザイン史や建築史で取り上げられる機会は少なかったのですが、芸術文化の中心でその時代を代表する文化人らと交流しながら、労働階級の人びとを中心とした生活向上に尽力していたことが窺い知ることができます。

2025年3月より、東京国立近代美術館では、エレン・ケイと同時代を生きたスウェーデン女性芸術家ヒルマ・アフ・クリントの大規模な個展が開催されました。カンディンスキーやモンドリアンよりも早い時期に抽象画を描いた芸術家として、芸術の歴史を塗り替えるほどのインパクトを残しています。

個人的には、エレン・ケイも北欧デザインの始祖として、北欧デザインの歴史の最初の1ページを追加するべきなのではないかとおもいます。それは、僕自身、エレン・ケイの著書を読むことで北欧デザインの魅力を深く理解することができからです。北欧デザインが、全ての人が美しいと感じる心があるという信念をベースとし、喜びや幸福の祈りがその美しさのベースにあると理解した時に、北欧デザインの美しさを本当の意味で体験できた気がしたからです。

池上貴之さん

『美しさをすべての人に』翻訳者。1979年岡山県生まれ。金沢大学人間社会研究域准教授として、デザイン教育や北欧デザインに関する講演や論文を発表。2024年よりエデュケーショナル・デザイナーとして、コンストの創作レシピが「障がい者と支援員」や「学生と教育者」などに提供される際の有用性のエビデンス探求などにご協力いただいています。
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須長檀

一般社団法人konst代表理事/デザイナー。1975年スウェーデン生まれ。王立コンストファック大学院修了後、デザイン事務所を設立。デザイナーとして活躍し、2009年Nordic Design Awardなど受賞多数。北欧の家具や小物を扱うショップ「NATUR TERRACE 」、「lagom 」のオーナーも務める。