池上
私が小さいときに住んでいた家の近くには、長い道の続く牧草地がありました。
− エレン・ケイ『美しさをすべての人に』第1章「日常の美しさ」
第1章「日常の美しさ」は、エレン・ケイが幼少期に暮らしていた住まいからはじまります。
でもどうして、ひょっこり幼少期のはなしからはじまるのでしょうか。すこし、その住まいのことについて書いてみます。
エレン・ケイはスウェーデンのスモーランド地方北東部、マーレン湖の岬にあるスンズホルム荘園で幼少期を過ごしました。荘園には、7つの牧場といくつかの農場、狩りのできる森などがあったそうです。それに、荘園には、鍛冶屋や靴職人、仕立屋、粉屋、羊飼い、庭師、御者なども暮らしていたそうです。荘園の広さと、エレン・ケイが幼少期に触れた豊かな生活文化がうかがえます。
エレン・ケイは六人兄弟の長女としてこのスンズホルム荘園に生まれ、兄弟たちとともに、両親の愛情を受けながら育ちました。今の時代からすると考えられないようなしつけもうけたようですが…。
彼女は20歳になるまでこの荘園の住まいで暮らしています。しかし、1880年、父エミール・ケイが事業に失敗し、この土地を手放さざるを得なくなります。その後、エレン・ケイは資金を調達して、失われた幼少期の住まいを買い戻したいと強く願いましたが、その願いが叶うことはありませんでした。
エレン・ケイがこの荘園を離れてから、建物などはいくらか変わってしまったようですが、当時の面影を感じられる荘園は、今も同じ場所に残っています。
現在は個人の所有になっているようですが、所有者の許可を得れば荘園内に入ることもできるようです。
須長
スモーランドと聞いて、おもい浮かぶのはガラスの王国ではないでしょうか?
コスタ・ボダやオレフォシュなど、スウェーデンを代表するガラスメーカーや、小さいけれど素晴らしいガラス製品を作る工房が点在しています。夏は、ガラス工房を巡る旅も人気のコースになっていますよね。
なぜ、ガラスメーカーが栄えたかという理由の一つに、肥沃な森林地帯だからという理由があるようです。ガラスは、高温に熱した窯でガラスを溶かして成形するのですが、その窯には大量の薪が必要ですから。
また、スモーランドにはガラス美術館もあって、貴重なデザイナーのアイデアスケッチや、スウェーデンガラスデザインのコレクションを見ることができます。

僕がスウェーデンに暮らしていた時のことですから随分と前になりますが、スモーランドにあるスウェーデンのレイミューラという会社の150周年記念のために、ガラスの器をデザインしたことがあって、何度もスモーランドを訪れた思い出があります。
僕の暮らしていたヨーテボリからスモーランドへドライブすると、エレン・ケイの荘園のような景色が今でもたくさん残っていて見ることができました。パンケーキのように平らな土地なので、夏になると真っ青な空と眩しいくらいの菜の花畑が世界を真っ二つに隔てていて、その中を車で走っていると、ポツンと小さな石作りの教会が見えてくる。
「パンケーキのような平らな大地は、氷河時代に巨大な氷の塊が大地を削ったからだよ」と、スモーランドに暮らす友人が言っていました。僕は、車の運転が好きではないのですが、スモーランドなら何時間でもドライブしたくなります。
また、スモーランドにあるウールのブランケットメーカーを訪れたこともあります。そこは、まるでエレン・ケイの荘園のようでした。広大な土地にお屋敷と牧場、敷地の中に大きな湖もありました。働いている方々も皆、穏やかで、カネルブッレとコーヒーで優しく迎えてくださいました。
「環境が作る人格」って、ありますよね。僕は日本からスウェーデンへ訪れるたびに、スウェーデン人たちの暮らし方に触れ、もっと大らかに、ゆったりと余裕を持った生き方をしなければだめだなと反省していました。
ですから、エレン・ケイの「美しさの原点」がスモーランドにある、ということは、とても納得できます。