PERFECT HARMONY
「キャンバスへの貼り絵」
ダンボールなどの異なるテクスチャーを持つ紙、事前にワークショップで彩色済みの紙、厚さの異なる紙などを手で千切り、水で薄めた接着剤に浸し、複数のクリエイターが1枚のキャンバスに共同で貼り付けるワークショップを開催しました。その結果、目の前にある規定された面積(キャンバスのサイズ)を紙片で埋め尽くすことが、創作完成の合図となりました。
このような”埋め尽くす”という創作行為は、ワークショップのたびに、ごく自然に立ち現れてきます。その創作では、多くの場合、僕が意図的に導くことなく、「白い紙をシールで紙の外側から徐々に中心に向かって埋め尽くす。」「白い紙を端っこから順々に黒いペンで全体が真っ黒になるまで塗りつぶす。」など、それぞれの独自のルールに従って画面全体が埋め尽くされていきます。その行為は、“この空白を埋め尽くさなければならない”という使命感に駆られているように見えます。
さらに「キャンバスへの貼り絵」のワークショップを仔細に観察してみると、“一定間隔に紙片を貼るルール”“紙片を並べる順序を厳格に守るルール”“手の届く同じ場所に紙片を重ね続けるルール”など、それぞれに独自の創作ルールがあることが分かります。しかも、まるでそのルールがあらかじめその人に組み込まれていたかのように、創作の初手(1枚目の紙を千切って貼るまで)に時間がかからないことも共通しています。
(どのように貼るか悩まない様子を見ていると、彼らの中にはあらかじめルールが存在していて、そのルールを厳格に守ることこそが彼らにとって最も重要な事柄であるように、僕には感じられます。)そしてその行為は、身体的な疲労の限界を迎えるか、貼る部分がなくなるまで、淡々と続けられていきます。
創作行為は、まるで内在化されたプログラムに従うかのように使命感に駆られ続け、画面は色彩と形態によって埋め尽くされていきます。興味深いことに、画面を埋めるという共通の目的を共有しながらも、それぞれの貼付位置や順序といった独自のルールは厳格に遵守され、他者の紙片が埋め尽くした領域に自身の創作が影響を受けているように見えません。(例えば、画面の右側に青色の紙片が貼付されているからといって、全体のバランスを考えて自分も青色の紙片を貼る、ということはありません。)
他者が貼った紙片で埋め尽くされた画面の上にも、躊躇なく自身の紙片を重ねていくことができます。独自のルールが厳格であるからこそ、創作の純粋性を保っているのです。
厳格なルールは、内在的なものとして湧き上がり、祈りのように淡々と続けられていきます。それぞれの祈りは、画面の四方から紙片を貼付する行為として進行し、やがて混じり合います。または、他者の紙片が自分の紙片の上に重なることで積層され、自分の表面から姿を消していきます。しかし、不思議とその創作に衝突を感じさせることはありません。それぞれが埋め尽くす行為を純粋に遂行し、それが他者の創作を侵食する結果となったとしても、調和が達成されます。俯瞰して全体を調整しようとする力はそこには存在せず、それぞれの意志の重なりの混合が生み出す、誰の意図でもない調和だけが存在しているのです。
私には、それが「完璧な調和」であると感じられ、その美しさに心を奪われます。
この原画を使ってTシャツのデザインを行う際には、数学、芸術、哲学、自然科学において最も調和のとれた図形とされる正円を基本に、直線を一部残してわずかに変形させた楕円形へと原画をトリミングすることにしました。その形こそが、クリエイターたちが生み出した「完璧な調和」の収まる場所のように思えたからです。