知恵を受け止める力
なにかを買うとき、値段や大きさ、口コミの点数、広告で見たイメージなどを、手がかりにすることがあります。どれも、自分の外にある「決め手」です。
でも、つくった人がほんとうに届けたいのは、そのもうひとつ奥にあることも多いように思います。どうしてこの素材にしたのか。どんな暮らしを思い浮かべて、この形にしたのか。言葉や数字にはしきれない、つくった人の迷いや工夫の積み重ねです。
この記事では、それを「知恵」と呼ぶことにします。知恵は、まるごと切り分けて手渡すことができません。だから受け取る側も、自分の感じ方やこれまでの経験と照らし合わせながら、受け止めることになります。
反対に、切り分けてそのまま手渡せて、受け取った人もそのまま決め手として使えるものを「知識」と呼びます。受け取る側から見れば、決め手が自分の内側にあるのか、外側にあるのか。そのちがいです。
この話のきっかけは、先日お茶を飲みながら、共同代表の須長がぽろっと話したことでした。会社は、ほんとうは知恵を手渡したい。でも受け取る側には、それを受け止める余裕が持ちにくくなっていて、伝え方がだんだん知識のほうへ寄っていく。それなら、受け取る側が知恵を受け止める力を、ふだんから使えるような場があるといいし、konstはほんの少しでも、その役に立てるのではないか。そんな話でした。
konstのワークショップに来てくださる会社が増えているのも、自分たちの感じ方にあらためて目を向けたいという思いが、どこかにあるからなのかもしれません。そう考えた理由を、順番に書いてみます。
ここで言うワークショップは、konstが軽井沢の福祉施設に通う方たちといっしょに続けている、創作のワークショップのことです。参加する方たちのことを、konstではクリエイターと呼んでいます。
どうして、知恵は受け止めにくいのか
知識で選んだ人は、「この数字だから」「評判がいいから」と理由を説明できます。自分の感じ方で選ぶと、「なんとなく、いいと思った」としか言えず、うまくいかなかったときも自分のせいになります。
それに、いまは、なにかを感じるより先に、点数や評判、検索の答えが届くことも多くなりました。すると選ぶ側は、自分の感じ方がそれと合っているかを、ついたしかめたくなる。合っていなければ、自分の感じ方のほうを疑ってしまう。そのくり返しのなかで、外の答えを頼りにすることが増えていくのではないでしょうか。
感じとる力がなくなったわけではなく、使われないまま眠っているだけなのだと思います。
どうして、会社はワークショップに来るのか
このところ、社内のデザイナーといっしょに研修に来てくださる会社や、自分たちのものづくりに生かせないかと見学に来てくださる会社が増えています。
デザイナーだけでなく会社の方もいっしょに来られるのは、知識とはちがうものを持ち帰ろうとしてくださっているからではないかと思います。ワークショップで感じたことは、同じ場所で同じものを見た人どうしでないと、分けあいにくいものです。
ものづくりを続けてきた会社には、積み重ねてきた知恵があります。でも、それをお店やカタログで伝えるときには、どうしても知識に置きかえることになり、そのたびにこぼれ落ちるものがある。置きかえをするデザインの仕事をしている私は、できるだけこぼれ落ちるものがないように気をつけています。研修でも見学でも、来てくださる方たちには、「知識だけでは、なにか足りない」という気持ちがあるように思います。
どうして、それがkonstのワークショップなのか
ワークショップには、絵を描くのが得意な人もいれば、描くことそのものがむずかしい人もいます。だからkonstでは、完成をめざすより、その日その場で生まれるものを大切にしています。進め方どおりにいかなくても、クリエイターがどこによろこびを感じているのかを見て、そこに寄りそう。それが、私たちがいちばん大切にしていることです。
仕事の多くは、目的から逆算して進みます。人類学者のレヴィ=ストロースは、目的から設計して部品をそろえる「エンジニア」のやり方と、手もとにあるものと対話しながら形を見つけていく「ブリコラージュ(器用仕事)」を対比し、後者もいまの社会に生きている考え方だと書きました。ワークショップには、逆算のスタート地点がありません。そこにいる人は、目の前のものをそのまま見て、そこから考えることになります。だれも、なぜその色を選んだのかを説明する必要はありません。
ワークショップは、まずクリエイターのための時間です。会社の方たちも、そのそばで同じ時間を過ごします。効率や成果のものさしから少しはなれて、だれかのよろこびに寄りそう。その経験が、それぞれの感じ方をたしかめるきっかけになっているように感じます。
知恵を受け止められるようになると、なにが変わるのか
知恵を受け止められるようになると、まず、ものとのつきあい方が変わるのだと思います。自分の感じ方で選んだものには、自分自身が少し入っています。だから、もっといい数字のものが出てきても手ばなしにくく、長く使いたくなるのかもしれません。
人との向きあい方も、同じだと思います。人づきあいは、もともと「なんとなくいい」から始まることが多いものです。自分の「なんとなくいい」を大切にできる人は、ほかの人の「なんとなくいい」も大切にしやすくなる。だれかと向きあうときにも、「できる・できない」だけでなく、その人がなにによろこびを感じているのかを見ようとする。
じつは、そういう変化は、ワークショップのなかですでに起きはじめています。施設の支援員さんのなかに、クリエイターの変化に気づき、自分の考えで「これは喜んでいいんだ」と思えるようになったと言う方が、多くいらっしゃいます。
だれかの評価や正解を待たずに、目の前の作品を、自分の感じ方で喜ぶ。「知恵を受け止める力」は、たぶん、こういうことなのだと思います。
会社にとって、知恵を伝えることを経営のまんなかに置くのは、かんたんではありません。それでも、知恵を伝えようとすると、「自分たちはなにを大切にしているんだろう」と問いなおすことになる。その問いを持ちつづけることで、はたらく人が自分の仕事を自分の言葉で話せるようになっていく。そういうこともあるのではないかと思います。
konstにできること
知恵は、受け取る人のなかで、その人の経験とむすびつきながら育っていくものだと思います。konstにできるのは、そのきっかけをつくる小さなことです。クリエイターのそばにいること。そこで生まれた作品を、暮らしのなかで手に取れるかたちにすること。説明しきれないものに、ふれてもらえる場をつくること。
ここで感じ方をたしかめた人たちが、それぞれの場所にもどって、ものをつくる。それを手に取った人のなかでも、知恵を受け止める力が少しだけ育っていく。konstが、そんな行き来のきっかけに、ほんの少しでもなれたらうれしいです。